ちょいと、振り返っておくかね。

 町家ではないのですが、一番最初今から5年前に高尾の交差点のところで開いた教室の時の看板(?)です。手作りです。最初の名前は「アポジラパソコンくらぶ」でした。

それから、大額、西泉を経て、2012年11月。芳斎の町家とであいました。
 初めて見学に行った時の写真です。一目ぼれでした。
その場所が、ずっと憧れていた金沢の中心地であると知ったのはこの日でした。「あれ、武蔵が辻やら金沢駅がめっちゃ近くないけ?」

 決断して1か月後にはお引越ししてました。うれしかったな~~。


 みかんちゃんに看板を作ってもらいました。町家に来た時に「町家パソコン・スマホ塾あぽじら」と改名しました。パソコンくらぶの時はパソコンで何かやっているという印象だったのが、パソコン・スマホ塾という名前にして、「教える場所」というのがはっきりしたように思います。

この名前に「スマホ」を入れたのが後々・・・

 共同の広い台所もあったので、最初のころはよくお料理もしてました。1日コースのお客様には土鍋ごはんと具たくさんのお味噌汁を。なんて。
なんでも、やりたがり。なんです。

そのうち、当日のドタキャンが立て続けにあって、材料を準備する分赤字になってしまうので、ばからしくなってやめました。好評だったんですけどね。残念。


 玄関に看板を取り付けてもらいました。
この看板あっての、町家あぽじらでした。

人を呼び込みSNSに話題になるように、イベントもいろいろやりました。
 ピアノ演奏会。
 お絵かき作曲。

 そうこうして2013年開けたころ、町家でスマホを教えてりうのが珍しいと取材がはいりました。
北國新聞。
続いてレオスタ。



この時テレビ撮影が入るからと、顔の湿疹をどうにかしなくてはとあわてていった町医者で間違った薬がでたため、顔が薬疹で大変なことになってしまいました。ここからが今も患っている頑固なよう疹との戦いが始まりました。そして、この湿疹のおかげで私はその後の人生大きな転換を迎えます。





イベントはどんどん続きました。
筆遊びの教室は約1年続けました。




 バレンタインデーや、お雛祭りのイベントもしました。占いの館になってみたり、コーチングの講座や、そうそう、「自閉症ってなあに」という自閉症を勉強する講座も開きました。
本当に多くの人がきてくれましたっけ。


 格子戸からさす光がとても好きでした。春は春の。夏は夏の。秋は秋の。冬は冬の。
柔らかに穏やかに光が入ってくる町家でした。



そうそう、石川テレビさんも取材にきてくれましたっけ。


5年前の高尾の教室からずっと通ってくださっている宮岸さんと一緒に取材だったので、緊張することもなく楽しかったな~。


さて、この少し先くらいから、実は体調がどんどん悪くなってました。原因は湿疹を強制的に抑えるために飲み始めた薬のせいでした。
毎日吐き気と、倦怠感でフラフラでした。そんな強い薬を飲んでいるにも関わらずかゆくて眠れない日も続いていました。


 仕事をしているときだけ、少し正気を取り戻せていたそんな時期でした。


そして、そんな様子を見るに見かねた次男から「平日だけでも教室のそばでアパートでも借りてそこから通ったらどうや?」と提案されました。
「でも、お金もないし、、、無理・・・」
たくさんのブレーキがかかりましたが、
「今おかんに何かあったら、俺らは今のようにのほほんと暮らせない。おかんが元気でいてくれないと。俺らだって20歳も過ぎた。あとはチビだけや。どうにかなるから」

何の当てもない、ただ、息子たちにこれ以上心配をかけるのならそれも一つの手段でいいのかもしれない。。

そう思って数か月後。
なんと、まあ、、息子たちとそろって教室から徒歩数分のマンションを購入し引っ越ししていました。

 マンションのベランダから見える金沢市内の風景です。
生まれ育った鶴来を離れなくてはいけないかもしれない。。お父さんお母さんは本当にもうだめなのかもしれない。
私の体の不調と家族の不協和音の中で、息子たちはそれでも仕方がないと半ばあきらめ、それでもさみしそうでそんななんだか先の見えない鬱々とした時を過ごしているときでした。

最上階の温泉付きのマンションなんてそうそう中に入れるものでもないから、見学に行こう!

そういって、息子たちとこのマンションの見学に来ました。

ドアを開けた瞬間から、息子たちの顔が輝くのがわかりました。
私の周りに「無理無理無理」といっぱい鎖がまとわりついていたものが、息子たちのぱっと明るくなった顔で、ちぎれて飛んでいきました。




マンションに引っ越しして、すぐに くくるがやってきました。
このころから私のスマホのアルバムはくくるばかりです。

マンションに引っ越しが決まったころ、面白いもので、鶴来の「7人の侍」への出演のオファーが来ました。もう、鶴来のしがらみから抜けると決めた後だったので、快く承諾しました。

 そして、ありがたいことに、またも新聞記事に。。


町家がどんどん盛り上がり、お客様が増えると同時に、満州のホームページが出来上がり、宮岸さんもマスコミにたびたび登場することになり、講演と取材でお忙しくなっていきました。
それでも、思い出したように教室に来てくださる宮岸さん。

いそんな、イベントをしていく中で、見えてきた「あぽじら」の向かう先。
2013年プライベートの断捨離に続き、2014年は教室の断捨離の日々でした。

私は何をやりたいのか?何を求められているのか?何で人様のお役に立つことができるのか?
「少し外にでて仕事をすることを考えてみたらどうですか?」
もがく中契約したコンサルタントの先生に初めに言われた言葉です。

そうか。。

そして、町家でやっていたイベントをどんどん減らし、続けていきたいと思ったものは、コラボの相手のお店に行って教室をやらせていただくようになりました。
サロンでの出張教室。
スマホの無料講習。

外に何があるのか。
とにかく行動してみよう。わからないからこそ行動してみよう。
そんな2014年でした。

そして、生まれた「文章術セミナ」
私が今までどうにかしてお客様の想いを形にして差し上げたいとやってきたことが、この文書術で解決しました。

形にするのは、私ではなくお客様。

そこに気が付いた。ということでもありました。

そして、教室はどんどんどんどん外へ外へと向かっていきました。



そして、ご縁がご縁を呼び、気が付けば、、

北海道に協働パートナーが見つかり、「ホームページ」に特化した教室に生まれ変わることに。

また、スカイプによって、全国をターゲットに仕事ができる。なんてことに。



気が付けば、町家にいることが、1週間のうち数時間となっていました。
でも、お客様は減っていない状態です。ますます忙しくなっていました。

もう、町家もったいなよね。

自然にそう思えるようになりました。
シェアオフィスの煩わしさからもそろそろ解放されてもいいんじゃない?
もう、お客様以外のことで遠慮したり我慢したり気を遣ったりして仕事することもないんじゃないの?

もっと、のびのび、仕事しようぜ。

もう、きっと大丈夫。

この5年ずっと間借りで教室展開してきました。
うまくいくのかどうかもわからない、プチ起業だったので、ビビりながらの商売でした。
今でもそれは変わらないのかもしれないのだけど、

でも、人生折り返し地点を過ぎ、やっと自分にとって何が一番大切で、何がよりどころなのかが見えてきました。
「家」が心地よく回っていないと嫌。
仕事を理由に家がごたごたするのは嫌。

そこがごたごたしてたら、何をしていても面白くない。つまらない。

だから、だから、一番心地よい状態で仕事もできて、家も守れる。
そんな環境に身を置こうじゃないか!


それが、2014年の晩秋。
なんだか、居心地が悪くなった町家で見えた光でした。


なにもなくなった町家の玄関。この広い土間と畳3畳のお出迎えの場に一目ぼれでした。
駐車場でもめたり、怒鳴り込まれたり、理不尽なことを言われて悶々としたり、
ストレスが生じていたのが、お客様のこと以外のことだったなんて、もっと早く気が付けばよかった。


2015年の春の風と共に、私はすごく守られた空間で、集中して仕事ができています。
どの一つをとっても「今」にはなっていなかった。
まるで、鶴来から飛び出すために、レールがひかれていたんじゃないか?と思うくらいの5年間でしたけど、仕事と人生の「軸」が同期して、どうあったらよいのかが見えてきて、

なんだか、いい感じで40代の終わりを過ごせそうです。

少しのんびりしようか。。
なんて、思っていたけれども、おかげさまで仕事が次々やってきてそんなわけにもいかないようです。
教室は「スカイプ」で対応できます。

もうじきしたら、「この日はここにいるよ♪」的な発信で外での教室もやる。。。。かもしれません。
いろんなことが、始まってます。まだ発表できないけど。

たぶん、今まで以上にパワフルになっていくとおもいますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

今日も長々とおつきあい、ありがとうございました。

ただいま、小さいホットカーペットの上に足を置いてブログかいてます。ホットカーペットが暖かいことに今日気が付いたくくるがいい感じでくっついて寝ています。

なんと、幸せな仕事場でしょう。。気持ちいい。。。。。

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