妄想癖とアウトプット

私はたぶん、頭の中のことをアウトプットするのが好きです。
そして、それは、たぶん、10歳くらいから好きになったんじゃないか?
と思います。


小学校の夏休みの絵日記は「おばあちゃんがきました。おすしをたべました。たのしかったです。」
みたいな作文ばかりで、低学年のころは作文は大嫌いでした。
5年生の時に学舎の建て替えがあり、古い木造の校舎にお別れの作文を書くことになりました。
その作文が、記念号の学校新聞にのったのです。

なんだか、沸き起こるうれしさを感じたのを強烈に覚えています。
褒めることを知らない父母は「さすがお父さんの子だ」とかなんだかわけのわからいほめ方をしていた記憶がありますが、承認欲求の強かった私は、「認められたんだ!!」と本当にうれしかったのです。

そのころから、作文は大好きになりました。
ストーリーが頭の中に浮かぶとえんぴつのスピードが間に合わなくなるくらいで、でも若い脳みそは浮かんだこと全部を記憶できましたから、おどるようにえんぴつを走らせ文章をかいていました。



昨日「先生は文学とか学ばれたのですか?」という質問が来ました。
私は普通高校をグレながら卒業し、栄養士の短大を卒業し、数年働いたのち結婚して子供を産んで、きがついたらパソコン講師になっていたという人間です。
どちらかというと、いやはっきりと理数系の方が好きです。
国語も英語も社会も嫌いでした。テストがあるからしょうがなしに勉強した程度です。


でも、小さいころからたぶん、妄想癖はあったと思います。

突然頭の中でお話が始まって、何時間でもその世界に浸っていられました。
漫画(中学生のころストーリー物の漫画を描いていた)や脚本を書くこと(高校時代放送劇の脚本を書いていた)に出会った時、それを現実の世界に持ってこられることにワクワクしました。


今40も後半になって、文章を教えるという仕事をしていますが、
たぶんそれは、文章のテクニックを教えているのではなく、心の奥に潜んでいる本当の気持ちや気づきを引っ張り出す仕事なのだと思っています。プライドや、思い込みで本当に自分が「これだ!」と思うことに出会っていない人たちが多いです。

でも、本当の自分の「これだ!」は他人様の頭の中にあるのではなく、自分の中にあるんです。
そこには欲や、見栄もあります。欲も見栄も人には見られたくない部分です。
だけど、自分はそこをちゃんと見ないといけない。

その部分を直視するのは、覚悟が決まっていない人にとってはとても怖い作業。
でも、他人様には見せなくてもいいんです。欲望も言い回しを変えるテクニックを知れば罪悪感を感じずに表に出すことができるのです。
それを、コトバオンチのツールを借りて、表現する。

アウトプット(伝える)時には、相手がいるということ。相手にどういう状態になってほしくてそのことを伝えるのか、そういうことを考えてアウトプットする訓練をしていく。
それがコトバオンチでもできる発信力の根っこです。


表現することは素質よりも訓練だと思います。
アウトプットし人目にさらし、反応を真摯に受け止め次につなげる。
その繰り返しです。


コメント

このブログの人気の投稿

自己チューな言葉

「あぽじら」の正しい使い方

頑張れ②鍼灸師 「林由美子」さん

オーラキラキラの石井さんでした。

ブログに書いていいこと悪いこと