なんとなく離婚を振り返ってみようと思った。パンドラの箱が空いたらどうしようと思ったけど、パンドラの箱はなかったよ。

今年に入って、結婚相談所さんとかかわっているものだから、、、
というよりも、結婚相談所マリッジプランニング金沢様の社長夫妻と接する機会が非常に多くて、この夫妻を拝見していると、なぜ私は離婚を選んだのかな?と考えることが多くなった。

一時の、罪悪感やら、相手に対する憎しみやら、なぜ、あの時ああしてくれなかったこうしてくれなかったという恨みつらみの感情はもうとっくの昔に浄化されてしまっていて、そこをむしかえしているわけではなく、なんら、他の夫婦と変わったところがなかった夫婦だったのに、なぜ、あれほど嫌だと思ったんだろう?と今更感じているのだ。


たいてい思い出というものはだんだん美化されていき自分に都合がよく変化していくもの。
ましてや、「今」が充実していたら過去のどんなこともあのことそのことがあったおかげだと受容できるようになるもの。

ま、それはあるのだど。
何が嫌だったんだろう?
もう、家じゅうが凍りつくくらいのオーラを放ち、「あなたが嫌い!」と放っていたエネルギーは何だったんだろう?

私の我儘?ま、それもあるかもしれない。
相手の我儘?ま、それもあるかもしれない。

いったい、何がそうもこじれていったのか?




今「イクメン」という言葉が流行っている。
家事、育児に参入してくれる旦那様のこと。特に育児なのだろうけど。
それがうらやましいか?と言われたら、私は台所などに自分以外の人が入ってくるのを嫌う性格で一気にやってしまいたいところに「何か手伝うよ」とか入ってこられても、手伝ってもらうことを考えている暇があったら自分でやった方が良くて、
だから、そういうことをやってほしかったわけではなくて。

でも、「自分ばっかり家の事をやらないといけない!!」
と怒っていたことは確かで。
支離滅裂だと自分でも思うのだけれども。

なぜ、私は支離滅裂になっちゃったんだろう?

とそこんとこがわかならなかった。


やってくれない!と怒っているくせに、手伝おうか?というと拒否される。
相手にとっちゃわけがわからないじゃないか?
かわいそうに。(笑)



いったい私はどうしてほしかった?



8年の別居生活を経て離婚してもうじき3年。
10年以上前の自分のことをましてや、40歳病の女のことなんて思い出したところでそれが本当にそのころの感情なのかさえも怪しい。


今もし、自分にパートナーがいるとしたら、どんなパートナーに横にいて欲しいのだ?
と問いかけてみる。

お金持ち。
これは、絶対!(笑)この年になってお金の不自由なんてまっぴらごめん!
私が仕事をしているお金が私の自由に使えるくらいのお金持ちがいい。
そうなれば、念願の社会のために私も何かが出来そうな気がする。

世の中を見渡せている人。
鋭い目で穏やかに見ている人がいい。
だから、頭がいい人がいい。

そして、「ありがとう」が口癖の人がいい。


あ。そう「ありがとう」。
前の夫は「すみません」が口癖だった。
初めはなんだか違和感を感じるくらいだったのが、だんだん「すみません」が鼻について仕方がなくなったんだった。

「何?何がすみませんなの?なんでいつもあやまっているの?すみませんとありがとうは違うよ。今のはありがとうと言わないといけないよね?」
「はい。すみません」

そんなやりとりを何度したことか。


きっと、これが離婚の大きな原因だったと思う。
たった一言「ありがとう」が来ないばかりに、私はどんどん意固地になっていった。

仕事でも思う。
どんなに意見がぶつかるようなことになっても、言葉の端々に「ありがとうございます」があると前向きに話をしようという気持ちになる。
「ありがとう」という言葉もなしに、「了解しました」と言われてもなんだか了解していないけど了解しておけって思ってんでしょ?とナナメに読んでしまう。

そして、どんなに自分の感情が波立っていても、「ありがとう」を口にするようにしていると物事が冷静に見えてくるようになる気がする。


「ありがとうは魔法のことば」
なんてことはそこらじゅうでいってるのだろうけど、
でも、もし、あの時あの場面に「ありがとう」があったら今は全くちがっていたかもしれない。


結婚相談所の社長夫妻を見ていると、どっちも大人でいろんなことを乗り越えてここまで来たんだなという愛情や思いやりが見え、もしあの時私がもっと大人だったら、こんなふうに誰から見てもうらやましがられる夫婦に慣れていたんだろうか?それはそれで幸せだったな。
なんて、思ってしまう。


幸せな結婚。
の価値観は人それぞれだと思うけれども、
やっぱり、まずは、自分がどう生きたいのか?
ってことだなと思う。
これは、まあ、約50歳という年齢が、ちょっと落ち着いて物事考えたくなっているせいもあると思うのだけれども。
でも、花嫁衣裳を着たくて、この手に自分のこどもを抱きたくて、ただそれだけの目標が結婚観で。
家族をもって、どうなりたいのかなんて、想像がついていなかった。


だから、息子が思春期を迎え、子離れが始まり右往左往が始まり40歳病をまんまと患い、息子たちが社会人になったらこんなにも「楽」になることも想像できなかった。


私はほどほどの年でこの世とお別れしたい。
息子たちが穏やかにそれを受け止められるような年になったくらいに、
ほどほどの人たちが葬儀に集まり、私の思い出話でその日は宴会をし、時々思い出しては棺に眠る私を覗きにくる。
「ありがとな」と言葉をかけて、ちょこんとほっぺたを触っていく。

穏やかに穏やかに。

そんなお別れの時を迎えるためには、その年まで元気に過ごしていないと叶わない。
朗らかに友人たちと楽しんでいないと叶わない。
息子たちもそれぞれ幸せな人生でいないと叶わない。


だとしたら。



今、何を一番にやるのか?




答えは歴然としている。



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