会えない時間は、会っている時間より、人を思っている。

会えない時間は
会っている時間より
人を思っている。

JTのリヴ・オドリスコール(Liv O’Driscoll)さんが和歌を歌っているCM。


やっと秋風が吹いて、少しセンチメンタルになっている気持ちになっているところに、ふわっと流れ込んできた。



携帯電話も、インターネットもない時代。
そう、メールなんてものもできず、ポケベルでさえ20歳をすぎてからこの世に現れた私たち世代にとって、

会っていない時間は、とても切なく、今日も明日も会いたいと思うのに、言葉を伝えたいと思うのに、時間の制約、場所の制約があって、人を感じることに努力しなくてはできなかった。


親に隠れて、真夜中電話の線をめいっぱい引っ張って部屋まで持ってきて、ドキドキしながら電話をかけ、相手が出た時のうれしかった気持ちや
会えると思っていなかったのに、突然ピンポンがなった時の飛び上がるほどのうれしさや、

会えない時間があったからこそ、愛おしい愛おしい時間だった。


そして、会えない時間は、想像力を膨らませて、思いを巡らせたものだ。


せめて風に姿をかえて、あなたのもとに、、、

原田知世が歌った「早春物語」を、泣きながら歌ったっけ。



メールの時はまだ少し、遠慮があったし緊張感があった。
思いを文章にするテクニックも必要だった。

とこところが、LINEやフェイスブックメッセンジャーが現れ、顔を見なくても、会話形式で言葉のやり取りをできるようになった。
それは、逆に、いつも誰かとつながっているというストレスにもなってやしないか?と思う時がある。


でも、もう、あのため息をつきながら物思いにふけるような夜は味わえないのかもしれない。


秘めた思いを味わう。


恋人。はもちろん
友人。ももちろん
家族。でさえ、会えない時間どうしているんだろうと思いを巡らせていたこともあったろうに。


「夕飯いるの?」
「いらん」
「ぶーっ」

なんて、どこにいても連絡がとれてしまうのは、
まあ、ある意味勝手な妄想で不安やら心配やらを抱えなくてよくなった人たちもいるんだろうな。



そうそう、文通とか、交換日記とかもあったよね。懐かしい。




電話しかなかった時には、電話のルールがあった。
メールにだってルールはある。

お互い気持ちよく使うためのルール。

LINE、フェイスブックメッセージ。
そして、近未来が楽しみなAIの技術。


どんな世の中になるんだろう。

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