知っている子がテレビにでてると、なんだかうれしくて誇らしいね。

チビの同級生に「かっちゃん」という子がいました。
かっちゃんは、目が不自由で、わずかな光がわかる程度の視力しかない子でした。

が、かっちゃんはとっても活発で、すいすいと自転車に乗っている子がいると思ったらかっちゃんだったということがあって、チビと「すごいね!」と感心、、いえ、びっくりしてみていました。


昨夜テレビを見ていたら、新人鍼灸師が取材を受けていました。
チビと偶然一緒に見ていたのですが、

二人同時に
「?今の○○君じゃない?」
と。

しっかりとみると、名札には、○○とまちがいなくかっちゃんの名字が書かれてありました。



「うわ~~鍼灸師になったんや」
「なんか、しっかりしゃべってるね」
「うん。相変わらずすごいな」
「うん。なんか、うれしくなるね。知ってる人が頑張ってるの見ると」
「おう。なんか、うれしいな」


かっちゃんが、年少さんで保育所に入所してくるとき、私はちょうど、その保育所の調理員をしていました。そのころ白山市の保育所、保育園では、身体障碍者児童の受け入れに本腰をいれ、あちこちで研修などが行われていました。
そして、かっちゃんが入ってくることになって、トイレがかっちゃん用に改修されました。
担当になる先生は勉強に明け暮れていました。


そして、春。
かっちゃんが入ってきました。


かっちゃんは、初めての場所にもかかわらず、所内をスタスタと歩き回り、、いや、走り回っていました。同じクラスの子たちに紛れていると、どの子がかっちゃんなのかわからないくらいに、「見えない」ということを意識させませんでした。


すごいな。
と思いました。


そして、周りの子たちは、かっちゃんを特別扱いするでもなく、「そういうかっちゃんがいる」という感じで遊んだり、けんかしたりしていました。


チビが通っていたのは別の保育園でしたが、そこには肢体不自由で特別な車いすに乗った子がいました。チビたちもまた、そういう子が仲間にいる。といった感じで当たり前のようにいました。

なぜか、チビの学年は障害を持つお子さんが多い学年でした。
ところが、チビたちは、本当にごくごく自然に、助けが必要な時以外はほったらかしで当たり前の友達としてつきあっているのです。

「なんで、見えないの?」「なんで、歩けないの?」といった質問はされたような気がします。でも、それだけです。


ゆとり世代と言われる息子たちです。
彼らは、ありのままを素直に受け入れる純朴な世代だとみています。
「有る」ということを当たり前として、受け取ります。
そして、「無い」ということも当たり前として受け取っています。


「がんばる」ことが美徳だった私たち世代とは、真逆なのですが、でも、私たちよりももっと尊いステージで生きているような気さえしてきます。


年少さんだった、かっちゃんが、チビたちが、今年二十歳になっていきます。
なんだか、不思議。

みんな生きてる。生きてるな~~~。
と思いました。



自分の力で食べていける大人に育てる。


子育ての第1目標は、今も昔も変わらずそういうことでいいんだと思ってます。



光があるほうに走っていったかっちゃんは、今も人生の光にむかって走っているのかしら?
チビもたぶんそうなんだろうな。
世界中の子どもたちが、光を見失わない世の中になるように、私ができることを当たり前にやり続けたいな。



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