不参加コメントを入れたくなる時の、気持ちがあると思うのだな。

先日フェイスブックでフェイスブックイベントでの、不参加コメントについて投稿しました。

投稿内容:


いまだに、イベントへの不参加コメントをわざわざコメント欄に入れる方がいらっしゃいますよね。

私は、イベントへの不参加コメントはやめておいたほうがいいと思っています。招待いただいて参加しないことを申し訳なく思ってのことだと思いますが、もし、一言ご挨拶したいのであれば、メッセージで皆さんが見えないところでお伝えすればよいと思います。

イベントはみんな必死に集客しています。一つの不参加コメントがそのほかの人たちの不参加コメントを誘い、コメント欄がネガティブゾーンになって主催者は必要以上にエネルギーを消耗します。

ビジネスにフェイスブックを使っている方は多いですよね。ご自身もイベントを開催することもあると思います。

賛否両論あると思いますが、せっかく入れてくださったコメントですが、不参加コメントは削除させていただきます。お気持ちだけはありがたく頂戴しておりますので、ご了承ください。


:ここまで



不参加コメントをコメント欄に投稿するときの気持ちについて、想像してみました。

招待されたことへの申し訳なさから

というのが表向きな感情だとは思います。
が、その裏側にある、身勝手な感情が存在しやしないか?
と思ったのです。

だって、本当に開催者のことを思えば、そこに「不参加」のコメントをいれることは、場を悪くすることはたいていの大人なら気が付くはずです。
でも、わかっていても書かずにはいられないのはなぜなんだろう?と。

1.開催者から招待されているのよ私!ということをアピールしたい。
2.自分は忙しいということをアピールしたい。
3.なんとなく、水をさしたいという魔がさした。


もう、想像しただけで、「げっ!」と思いますが、でも正直あるんじゃないかな?と思いました。
それは、なんでか、
自己掲示欲、嫉妬。
そういう感情が湧き出しやすいのがフェイスブックだからだと思うからです。

これは何も、イベントのコメント欄に不参加コメントを書いた人たちをせめているわけではありません。誰しもが、フェイスブックをやってきた中で一度は味わった感情ではありませんか?
ということです。

私はしょっちゅうありますよ。
仕事がふっと入ってこなくなったときとかに。
世界中の人が楽しく、忙しく、人生を謳歌しているように思えて、自分一人が孤独と戦っているような、どよよよよよよよよ~~~~ん現象に沈むことがありますよ。

でも、そういう感情はできれば知られたくない。

だから、そういう気持ちが起きたことをごまかさないで、そういう時は、あんまりフェイスブックを見ないか、人の投稿を見ないようにして、わざともっと孤独を味わうようにしてます。
というか、独りを味わうようにしてます。
独りでランチにいくとか、映画をみるとか、本を読んで昼寝をするとか。

あ、で。話を戻して。


1.開催者から招待されているのよ私!ということをアピールしたい。
2.自分は忙しいということをアピールしたい。
3.なんとなく、水をさしたいという魔がさした。


もし、こんな気持ちがわいてきた自分に気が付いたのなら、やっぱり不参加コメントは入れないほうがいいです。ほんと、不参加コメントは「うざい」何かほかのコトバでかっこつけて言いたいけど「うざい」の一語につきる。

場の空気を元に戻すために必要以上に考えてコメントを返さなくてはいけない、その時間のもったいなさ。
「何が盛会をご祈念しますよ!黙ってスルーしてくれればいいのに。なんでわざわざ書くの???」
と悶々としながら、真逆の「感謝します、また、機会があればご参加ください」なんて、入力する手が震えますわ。本当は「うざ~~~~~」ってかけたらどんだけスッキリするかしら?
なんて、思ってませんけどね、、うそ、本当は思ってます。


まあ、イベントに限らず、ネガティブコメントが入ったときは、「いい人なのよ」キャンペーン到来!!という考え方もあります。そのコメントを見ている人たちは、管理者や、投稿者がどんなコメントを返すのかある意味野次馬的にワクワクしてたりしてますから。

「おおおおおお!!!さすがMAZIRA!こうきたか!!」

というコメントを返すチャンスでもあるわけです。

が、これを書くのは、非常に時間がかかる。
6年前の暇な時ならいざ知らず、今の私はコメレスに30分も1時間もとかけてらんない。

かけてらんないから、削除。するわけです。



あ、でも、自分のお客様の場合は、ITオンチな方が多く、フェイスブックにも慣れていらっしゃらない方が多い。
だから、きっと、本当に申し訳ないと思ってコメントを入れていると思うので、その時は、「ありがとうございます」と心の中で言って、そして、「削除」します。

不参加コメントにどんな意味合いがあろうとも、そのイベントの場を乱すのには変わりないから。




で、どんな意味合いがあろうとも、
心の底から、「ご盛会を祈念」していようとも
イベントが終わっていない間は、不参加コメントは、不参加コメントのエネルギーは、そのコメントを書いた人の「自我」でしかないのです。
よくもわるくも自分の気持ちを「伝えたい」という一方通行な思い。



文章というのは、ほとんどの場合相手がいます。
その文章を見たり、読んだり、聞いたりする相手がいます。
その人の感情を無視して伝えることは「エゴ」以外の何物でもありません。


それは、ホームページの文章もしかり、ブログ、フェイスブックの投稿しかり、わが子への説教しかり。
たとえ、内容が「ご祈念」だろうが「励まし」だろうが、「心配」だろうが、「応援」だろうが
「エゴ」で書かれた文章は、相手にとって重荷でしかありません。



例えば、不参加のコメントを「エゴ」という形ではなく入れるとしたら、
その、イベントが無事大盛況で終わったという投稿が見えた時に、その投稿のコメント欄に

「本当に行きたかったです!!残念でしかたありません!!楽しそうですね。参加できた方々がうらやましいです」

と書けば、意味合いは違ってくると思いませんか?



私のお客様はそういうコメントを入れてくださる方が多い。
これね、本当にうれしいんです。
「会えない時間は、あっている時間より、思っている」
っていうあれですよ。

しみじみと、うれしいんです。応援していただいてるんだな。愛されているんだな。って。



「伝える」
というのには、必ず「タイミング」があります。
そのタイミングが、自分勝手になってしまうことが良くない。
伝えたいことを聞く、見る、読む人のタイミングをおもんばかって、自分の手から離さないと。
同じ内容でも、真逆、天と地の感情を揺さぶることになるのです。



これもまた、マナー。
マナーとは、相手があってこそのもの。
マナーとは、決して自分をよく見せるためのものではなく、人を敬う気持ちを行動に表す方法であること。

敬意。こそがマナー。
リスペクトの心がない、行動は身勝手以外の何物でもないということ。



今、私の手から離れようとしている「コトバ」たちが、「リスペクト」に基づいてつづられているのか、手放す直前まで自問自答して書いています。
少しでも、相手をこらしめようとか、怒りをぶつけようとか、そんな感情があると気が付いた時には、世の中に出さない覚悟を決めます。

吐き出さないと、心乱れておかしくなりそうなときもあります。
そういう時は、そのことを見る角度を変えて、もう一度、文章を考えます。


「コトバ」は人を幸せにするためにあると信じているから。
「コトバ」をつづる努力は、「愛」そのものだと思うから。








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