子育てはあっという間というけれど、振り返れば、やっぱり長いよ。

チビが20歳になりました。

29歳だった私は49歳に。
20年。ふりかえればやっぱり長かった。

今まで、あんまり感じずに生きてきたのですが、振り返ると「お金がなかった」ことに気が付きます。
それは、何も私のビジネスが儲かってきたということでもなく、息子たちがそれぞれ社会人になり、それぞれ家にお金をいれてくれ、自分たちがほしいものは自分たちで買ってくるようになった。

ということが、今生活が楽になったなと思える一番の要因だと思います。


で、今お金がある。
だから、振り返るとお金がなかったと気が付いたのか?


と、ちょっと自問自答してみました。


本当に今までもお金がなかったのか?



もしかしたら、「使えない」と思っていただけなのかもしれません。
もしかしたら、「いらないもの」と思っていたのかもしれません。



だって、手に入れたいものは手に入っていたのですから。
家だって手に入ってます。
車だって手に入ってます。
毎日、食事だってできてました。
蛇口をひねれば暖かいお湯も止まったことがないですし、
テレビや、パソコンだって持ってました。



お金がないから
という理由で、手に入れなかったこと、しなかったことは

旅行
高級な食事
ブランドの服


旅行は、息子たちを置いていくと、その間の食事や、洗濯のことを考えるとゾッとしましたし、家族でというとそれこそ大金が必要だったし、
高級な食事は、当時鶴来に住んでいて、何かと出るのに億劫だったこともあったし、
ブランドの服はどこに来ていけばよいかわからないし、


今、旅行に行けるようになったのは、お金があるからではなく、手がかかる息子たちが社会人になってほったらかしでもよくなった、自営業で時間の融通がつけやすくなったということが一番だし、
食事は金沢に引っ越してきて、誘うほうも誘いやすくなったらしく、そういう情報が入りやすくなったということもあるし、
ブランドの服は相変わらず興味がなく、自分に似合う服を着ていたいという思いは年を取るほど強くなってきたし。


なんだか、お金があるとか、ないとかではないレベルで天秤に乗せている。



お金がない。
とうい状態は相対する対象があって、そう感じている。
要は何かと比べているだけ。

比べるものがないと、それが当たり前で、けっこう楽しく不安もなく生きていけるものだったんだ。
と、今さら気が付いた。




チビの誕生日は9月30日だ。

昨日も、「トトロのケーキでもよかったんに」とチビに言われ
「だって、今はこの時期のフルーツが買えるんだもの」
と返事をしたけれども、
それは、まるで、昔お金がなかったから、フルーツが少なくてすむトトロのケーキにしたように聞こえるけれども、いやまて、白い生クリームにブドウがのっているのは、どう見ても、赤いイチゴが華々しく乗っている様子よりもさみしかったからじゃないのか?
イチゴの形のチョコがトトロの耳に見えちゃったから、ポッキーがトトロの髭にみえちゃったから、作りたかったんじゃない?

チビを喜ばせたくて。

「うわ~~、トトロ♪」

と言って目を輝かせて、そして、「ひひひひひ」とかいいながら、トトロケーキにナイフをあてて、ちょっと怖がらせてみようかとか、そんなことで楽しみたかったからじゃないか?って。


ふと、気が付いてしまった。




誕生日ケーキ3000円がもったいなく、だから、ケーキは自分で焼いていると思い込んでいた。

と思っていたが、食いしん坊で、3000円も払って15号の手のひらに乗るくらいのケーキでは嫌だったんだ(私が)


いや、でも、本当のところはわからない。
その一瞬一瞬、どんな思いでいたかは、もう私のものであって、私のものではない過去の時間だから。




記憶はいくらでも上書きできる。
記憶のほとんども、今思っていることも、思い込みの幻想の世界かもしれない。


ただ、うれしいと感じたり、いとおしいと感じたり、
その時どう思ったかということよりも、どう感じたかの記憶は鮮明で、私の体に刻まれている。




あの時、私は、息子の喜ぶ顔だけを想像して、ケーキを焼いていた。


たぶん、もしケーキを買っていたとしても、同じだと思う。



誰かのために。
う~~ん。息子たちのために。生きてきた25年だ。人生の半分そうやって生きてきた。
それは、それは、楽しい時間だった。
彼らの、笑顔をどうすれば見ることができるか。
それが、私の生きる柱になってきた。


そして、これからも。





今、仕事をしている根っこも息子たちの笑顔だ。
彼らに、応援されながら、彼らが彼らの人生を喜んで歩めるように自分はどう生きなければならないか?ということをいつも考えている。

究極は、自分の葬式の時に、お棺の周りに息子たちがどういう感じでそこにいて、その息子たちの周りにどういう人たちがいて、そして、どんな会話をしていてほしいか。

それが、見えるようになった。


だから、そこから逆算して今を考えると、
どんな、風に生きなければならないか、が当たり前に見えてくる。




「養わなければならない」
という概念がはずれ、
息子たちに「ご自由にどうぞ」と言われるようになり、

さて、どう生きる?
と思ったときに、


なんだか、子育てをしてきた時間が、とてもいとおしい時間に思えた。やっと思えた。



たぶん、毎日笑顔でいたわけじゃないと思う。
こんな毎日嫌だ!!と泣き暮らしていた時期があったのも事実だもの。


でも、あ~なんだか、いい人生だったな。と思える。
だからこそ、あと何十年いきるのかわからないけれども、
ここから先も、無我夢中で生きて大丈夫なんじゃないか?
って思う。



なるようにしかならない。
万事塞翁が馬。


5年ほどの前のチビの誕生日に焼いた、トトロのケーキ。暗いのでよくわからん。

3年前のトトロのケーキ。かなりいい加減。これは、今でも語り草になっている。「なんか、ちょ~~~適当な誕生日の時あったよね」と。

ま、今年のケーキもいい加減にはちがいない。
対象物がないので、大きさがわかりづらいだろうけれども、直径30㎝あります。手のひらには乗りません。両手にも乗りません。うちで一番大きなお皿いっぱいになります。

各自思う存分食べられる大きさ。
これが、伊藤家のかーちゃんケーキです。

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