もうやめようと思った時。

雇用されている時代、私はいつも「やめたがり」で、いつももっと自分に合った仕事があるんじゃないか?と思って過ごしていました。
私だったらこうするのに。
私だったらそうしないのに。
私だったら。

それが、パソコン教室を立ち上げて自分でやり始めてからは、どんなに売り上げがない日々が続いてもやめたいと思ったことはありません。
どうしたらいいんだろう?
どうしたらこの状態から抜けれるんだろう?

そんな風に考えていました。
家族のだれも、別居していた元旦那でさえ、心配性の実家の父母さえ、反対しませんでしたし。応援してくれてましたし。

そんな7年だったのですが、一度だけ、もうだめだ。
と思ったことがありました。

2013年。
前年の11月に西泉から芳斉の町家に教室を移転させ、半年くらいが経った頃の話です。
今から思うと私は古い町家のカビにやられたんではないか?と思うのですが、それまでやわやわと小康状態だった皮膚のよう疹が突然悪化し、それまで飲んでいたザイザルなどのお薬が効かなくなり、1週間だけとためしに処方された免疫抑制剤ネオーラルが効いたのはいいのだけれども、症状が落ち着いたからとやめてみたら、また一気にぶり返し、この薬を飲み続けなくてはいけなくなったのです。
この薬、よう疹には効いたのですが、なんとも言えない倦怠感と吐き気に襲われました。
寝ても覚めても、気持ちが悪くだるくてだるくて、数歩歩くこともしんどい。そんなことになってしまったのです。

春ごろからその薬を飲み始め、吐き気倦怠感は、日を追うごとにひどくなり、6月頃には、家の中では何かにつかまって歩かないと歩けないほどでした。
そんな状態なので、仕事も不思議と入りません。
今なら仕事がなくて体調が悪ければラッキーとばかりに寝ているのですが、そのころは売り上げも安定せずそんな悠長なことも言っていられないところでした。
しかも、いよいよ自宅のローン返済が厳しくなってきて、この先を考えると家を売ったほうがいいのかとか、「お金」の心配が仕事よりもプライベートの方で深刻で、一緒に考えなければならない旦那とは別居中で、話をするのも嫌。。息子たちは、大学、社会人1年生、高校生とまだまだお金がかかる時期で、もうどうしていいのかわからないでも、なんとかしなくてはいけない。
そんな状態でした。

それでも、仕事があれば、鶴来から金沢芳斉の教室まで運転し仕事をして帰っては来ていましたが、月の半分以上仕事ができない。そんな6月でした。

月末が来て収支を入力すると、この月の売り上げは10万前後。ガタ落ちです。最悪の売り上げです。
体がどうやったら回復するのかもわからなかったので、こういうのが永遠に続くような気分になってました。

あ~。もうだめかもしれない。
こんな体でお客様の前でだけ元気でいられるのも時間の問題かもしれない。
もう、やめてしまって、回復に専念しようか。。。
ローンとか、学費とかどうする?
やめても働かないとやっていけないのに。
別居中の旦那に泣きつくか?いや、そうしたところで、この状態を解決する方法を考えてくれるような人ではないし。

私にはこの世の終わりがきたようなそんな暗黒さえ感じた時でした。



私はそのころには顧問契約した税理士さんがいました。
彼女には3か月に一度入力したデーターをメールで送り、収支が健全であるかどうかをチェックしてもらっていました。(今も)6月の収支を入力したら彼女にデーターを送る月でした。そのころはデーターを送ったら彼女は教室まで顔を出してくれて、いろいろアドバイスもしてくれていました。

「しんどそうですね」
彼女は私の顔を見るなりいったように思います。
「うん。最悪。6月はほとんど仕事ができなくて、稼働日数は10日もなかったし、売り上げも最悪。どうしよう?」

「その状態でも売り上げあったんですね。10万も」
「え?」
「そんな最悪の状態でも、売り上げ上がったなんてすごいじゃないですか。0(ゼロ)じゃなかったんですよ、伊藤さん!」
「あ。」
「いい感じですね。最低ラインが0でなくなりましたね」


そうか。
その3年前、まったくの0スタートで始めた教室が、最悪な状態でも売り上げが上がるようになっている。
体をいたわりながら、毎日働かなくても、家族は生きてい行けるくらいになっているんだ。休めば動ける。そうだ、ちゃんと休めば動けるんだ。


急に目の前がパッと明るくなりました。

大丈夫だ私。



そして、私がそうなるのを待っていたかのように、神様は次男を通して言葉をくれました。
「おかんたちが(旦那と私)こんな状態でも、俺らは大丈夫だしょうがないと思っているし、でも、それは、おかんが元気でいてくれているってことが前提で、今おかんに倒れられて何かあったら、俺パニックになる。俺ら(兄弟)どうしていいかわからんくなる。たのんし、自分の体を一番に考えてくれんけ?
俺らおかんが元気やったら、自分らのことも自分らでやれる年になってるから。

教室の近くにアパートを借りて、チビと平日はそこで生活しんか?移動がないだけでも体楽にならんか?仕事だけしてまたかえって寝ていることもできるやろし。苦しいんだったら俺の給料からもっとやるから」

そして、最後にこんなことを言いました。

「もう、アパート代を出せるくらいの売り上げになったやろ」


顧問税理士の言葉より先に次男にこんなことを言われていたら、無理無理!!と思ったに違いありません。


けれども、私自身が顧問税理士さんの言葉で、自分の体をいたわることを優先順位の一番に持ってくることを許可した後、直後。

それしかない!

と思いました。

「そうさせてもらおうかな…」







そうして、そこから1か月後、結局、息子たち3人と住める十分な広さがある中古マンションを買っていました。買えちゃったんです。厳密にはローンが組めちゃった。
そして、その1か月後のお盆休みを利用して、4tトラックにいっぱいの荷物を積み込んで引っ越しをしていました。

ゲロゲロ吐きながら、足を引きずりながら、最悪の体調で、段ボール何10箱の荷造りをして。



昨日、2016年度分の青色申告書と確定申告書の最終チェックに顧問税理士さんの事務所に行ってきました。最近ではコツもわかってきたので、何かあった時にあって話をするくらいで、あとは電話やメールでやり取りをしています。昨日会ったのはなんと1年ぶりらしいです。
去年の一連の出来事を早口でしゃべり、あっという間に数時間たっていました。
あ、確定申告はあっという間に書類作成でしたから。

帰り際
「いろんなことありましたけど、頑張りましたよね」
と彼女は言ってくれました。
「いや~、あの最悪のしんどい時に、あなたのあの言葉がなかったら私は事業をたたんでいたと思います。あなたのあの根拠のある励ましのおかげで、私の今があります」

「あはは。私はその時になんとなく言っているんですけどね。でもうれしいです。そんな風にいってくれて」



信頼関係とか、愛情とか
そういうものがあると、必要な言葉は、必要な時にちゃんと降りてきて、耳から入り、目から入り、心に届き反応しますね。


彼女にとっては何気ない言葉だったかもしれないけれど、
私にとっては人生を変えるくらいの大きな言葉だったし。


自分は大丈夫。のスイッチが入ったあの年。
あれからも、電気もガスも水道も止まらず、金沢の中心地を見渡す眺めを眺めながら、仕事をしています。


やめなくてはならないと思ったのはこの時だけです。
しんどいことは、たくさん起こりました。だけど、この時だけですやめようと思ったのは。やめたいと思ったのは。



たぶん、この年の出来事は
自分の手の中にあるもの。
それが明確になって、それをいかに大切に思って過ごすか。
そういうことに気が付かされた時だったと思います。
私でないとと言ってきてくださるお客様。
私がいないとと言ってくれる家族。

そんで、十分やないか。
そんで、十分。

それが、今の私の「軸」になっています。


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