月商6億円とか言っちゃってたワケ。

4年前に私とあった人で、この話を聞いたことがある人は結構いると・・・
あの時笑顔で話を聞いてくれた人たちには本当に感謝感謝です。

なんの根拠もない数字。だけど、叶えたい夢。


月商6億の会社は何をしたいのか。

村を作りたかった。

年をとったら誰もが住みたくなる村を作りたいのだ。

そこは、小さな住みよい家がならび、住人はそれぞれ自立しながら暮らしている。もちろん経済的にも自立している。

村の中にはレストランや食堂や病院や床屋や生活に必要なものはすべてある。
それらは、村の外の人たちの雇用を生み出して、子どもたちが憧れる大人たちであふれる場所で、そして、臨終を迎えた時には村の人たちに静かに看取られながら死んでいく。

私はこの村を運営しそして、その片隅でカウンターに8席だけの小料理屋をやっている。


なぜ、そんなことを思ったか。

その頃長男が大学に入ったころで、長男の友人たちの多くは就職していた。
その大人になりかかった子どもたちを見て、「どうせ」なんて言っているのが気になった。
我が息子も大学に入ったものの一体将来何をしたいのか見えていないようだった。

「ゆとり世代が失敗だ」
と言われ始めたころだった。

子どもたちは大人の背中をみて「夢」を描けるのだろうか?
描けないとしたら、なぜだろう?

そんなことをふと思ったのだ。

そこから、なぜか、「村作り」に思考が飛ぶのが私らしいというかなんというか。

その思いは同時に、普通に働くよりも収入が欲しいつまり「お金」が欲しいと起業した私が、なぜこの仕事をして行くのか何のために熱く進もうとしているのかその答えのようなものでもあった。

子どもたち(息子たちを含め)の未来を照らしたい。

そういう思いだったと思う。

月商6億はさておき、そういう町が今金沢市にできたそうです。
その話を聞いた友人が「先を越されたじ?」と言ったのですが、私はめちゃくちゃ嬉しかったのです。だって、私が妄想みたいに思っていたことが現実に現れるということはそれが世の中に必要な考えだと証明されたってことなのですから。

だから、私が作れなくてもいいんです。だって私が作るには時間がどんだけかかるかわかりませんもの。私が思うよりもずっと早く現実に現れた!もう大興奮でした。

そして、あれから4年たち息子たちも4年分大人になりました。
彼らはおぼろげながらも社会へと足を踏み出しました。彼らの足で。

そして、私も4年分成長(?)しました。
夢はもっと身近なものに、確かなものになりました。
だれが幸せだったら、子どもたちは幸せなのか。
何を幸せにしたら、子どもたちの未来は光輝くのか。
そうなるために私ができることは?私が見据えて行かなければならない目標は?

それは、月商6億!と漠然と言っていたあのころよりも確かにつかみ取りたい目標になったんだと思う。

そうね、、、
私は早く、そういう施設を作りたいと思った人に支援できる器になりたい。
お金でもいい、技術でもいい。
今よりももっともっと懐の深い器の大きい人間になってたくさんの人の役に立つ人になりたい。

愛情深く、静かに明るく人々の足元を照らす、「中秋の名月」の月のような存在に早くなりたい。


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