心と体の同期②

10年前、えもしれない孤独感や悲壮感に泣き暮らした三年間。

息子たちが離れていくというさみしさが原因だと思って、、、思い込んで来たけれども、実は本題を子供たちのことにすり替えていたにすぎないと、今だから思う。

本題とは?

私の人生のこと?

いや、そんなかっこいいことじゃない。
私が真に向き合わなければならなかったのは 旦那 だったのだと思う。
三人の子どもを授かり何を今更と言われるかもしれないが、旦那との結婚は23歳の小娘が考えついた世間体に過ぎなかった。
結構な遊び人だった私が、自分がやっていることに嫌気がさし、周りに大人としてみてもらうには結婚するのが一番だと思ったんだと思う。

誰でもよかったのかもしれない。
そんな気持ちの時にたまたま近くにいた16歳年上の独身男。
恋愛経験なし。
そんな男をその気にさせるのは雑作もなかったな。と。

自分が変身するために選んだ結婚。
本当に好きな男は結婚できない人だったし、その淋しさを埋めるにも好都合だった。

バカな選択をした。
と思う。
相手に対しても失礼な話だ。

結婚が決まり事の重大さに気がついたものの、どうすることもできなかった。やっぱり無理!と心は叫んでいたけれども、反対していた両親を説得してしまったこと、同じ会社で周りじゅうに知れ渡っていたこと、どこをどうしたらストップできるのかわからなかったし、そんなめんどくさいことをするのなら結婚してしまえ。
したらしたで愛情もわくだろうし、家族にもなれるだろうと思った。

長男が生まれ、まだ違和感があった。
家族が増えれば家族を作れるとまだ思っていた。次男が生まれ、まだ違和感。三男が生まれますます違和感があるものの、そういう自分を正当化するために自分が思い描く理想の家族を目指すしかできなくなっていった。


そうやって、違和感を感じながら10数年演じた結果が、お先真っ暗な自分だった。

子どもが成長して巣立っていってもらったら困るのだった。
旦那と、ふたりきりになることへの恐怖だった。

そのころはもう、半径一メートル以内に近寄ってくるのも身震いするほど嫌だったし、会話しなければならないと思うだけで体が緊張しこわばった。

そして湿疹が全身を覆った。
この10年苦しんでいる よう疹の発症だ。

向き合うべきはどこかわかっていたはずだ。子離れに淋しがる男の子の親という言い訳をかざすのではなく、あの頃突然胸か苦しくなって涙がこみ上げてきたのは、泣ける場所を探して車に飛び乗ったのは、自分の未来が不安だったからじゃない、その時の現実に向き合うのが怖かっただけだ。

旦那と、別れたい。
だけど私の身勝手な思いで振り回した人たちの手前行動におこす勇気がなかった。
子どもも3人もいる。
全て私の身勝手な思いなのだから全責任は私が背負わないと。でもそれも大変だろうし。。

よこしまな心。




家の中が氷っているね。
貴女が放つエネルギーで凍りついているね。

と友だちに言われた。
確かにそうだ。
そんな家なのに子どもたちはまっすぐ私を信じてくれている。

泣いていることにも疲れていた。

このままでは、子どもたちが迷ってしまう。自分を律しなければ。
そうするには?

そんなころ旦那の兄が病に倒れ余命数ヶ月と宣告された。旦那はうろたえ心も体も実家の家族のことでいっぱいになっていた。

その一大事に私は混ぜてもらえなかった。

世間体やら体裁を繕って頑張っていたものが、プツンと切れた。

そんなに実家のことでしんどいなら実家にいてください。お義父さんたちのそばにいてあげてください。

別居を申し出る大義名分だった。
お兄さんありがとうと心から感謝した。
これで、呼吸ができる。

旦那との別居が始まって家の中の氷は溶け、私の放つエネルギーはオレンジ色に変わったと友人に言われた。

もう、旦那を巻き込んで家族ごっこをしなくてもよくなった。全部自分で責任を負う覚悟もできた。
想像以上に心が安定した。

だから、それでよいと思った。離婚しなくても、この状態でいいならそれでいいと思った。

でも、それもまた、旦那のお金を当てにしていたからで、三人の子どもを抱えて生活することの大変さが計算できたからでもあった。

それでも何度も離婚を申し出はした。そうはいっても、もう一緒に住む気もないのに婚姻生活を続けている意味はなかったし、そうなれば少しでも若いうちに、、、とも思ったからだ。

でも、何故か離婚には応じてもらえなかった。また、それについての話し合いすらしようとも言ってこなかった。

そして、こんな宙ぶらりんな夫婦なのに、子供たちは私のことを愛し、離れて暮らす父のことも愛していた。
私たちを責めることもせず。
グレることもなく。


そんな寛容な、誰よりも私に許しを与えてくれる息子たちに応えなければ。
それは、あの子たちに何かを返すというよりも、きっとあの子たちが望んでいる私の幸せを追求することだと、つい最近気がついた。

気がついたとたん、町家が手に入り、
湿疹が悪化し体調が悪くなり、
教室の側に住んだ方がいいのでは?と息子たちから提案された。

とりあえず三男と私で教室の側に住んで体を休める時間を作れと。

そして、物件を探しだし、探していたら分譲マンションにぶち当たった。
三男と2人で小さいアパートに住むのが精一杯だろうと思っていたのに、多分アパートに住むのと変わらない金額で高層マンションの最上階に、、、あっという間に引っ越していた。息子たち全員一緒に。

想像で無理だろう。私なんかにできないと思っていたことが、パタパタと出来てしまった。

やれるじゃん。
しかも、自分ひとりで背負わなければと決めつけていた荷物を息子たちがそれぞれ自分の荷物を背負える年齢になっていることにも気がついた。

案ずるより産むが易し。
必要な時に必要なものがちゃんとやってくる。

息子たちを授かったこと。
旦那との葛藤。
湿疹。
病気。
お金。

全て必要な時にタイミングでやってきていた。大変なことは素直に受け取れてきた(笑)

幸せなことも、素直に受け取っていい。私は幸せになっていい。
マンションに住むようになってそう思えるようになった。

もう大丈夫かもしれない。
旦那への依存心が消えた。
本当に向き合って解決しなければならないことと向き合おう。

別居から7年が経っていた。
旦那が口火を切れる人ではないことをわかっていて、私が切り出さないと始まらないことをわかっていて怖くて逃げていたこと。

離婚の手続き。
直接話し合いしても埒が明かないこともわかっていた。
相談すべきあいては、友人でもなく、実家の母でもない。
裁判所だ。調停の手続きをすればいいだけだ。
とうの昔にわかっていた。

お金の不安から結婚という便利な制度に執着していただけだ。

よこしまな下心

それを見破られたくなかった。

そのよこしまな下心に光をあてる勇気の一歩を踏み出し20数年自分に偽ってきてことから解放した。

今でも思う。
私が彼の人生を揺さぶってしまった。と。ある意味狂わしたと。

私がよこしまな下心で近づかなければ彼はお母さんやお父さんに守られて、優しい人で終わることが出来たかもしれないのに。私と出会い家族をもったばっかりに彼自身向き合いたくなかった彼自身の闇を私を通してみなくてはいけなかったのかもしれない。

彼が家族を持って嬉しかったのかさえ定かではない。私が彼といて幸せをあまり感じなかったように、彼が家族といて幸せそうだったことはあったっけ?

彼はたぶん、、、


やめておこう。想像でしかない。


ただ、ご縁だったのだと思う。
お互いこの葛藤を味わう今世だったのだと思う。よいとか悪いとかではなく。


こんな私たちにしては、随分と出来た子供たちに育ったものだ。
たとえ、ごっこみたいな家庭生活だったかもせれないけれど、
食事をし、オムツをかえ、眠り、
家を持ち、清潔に暮らし、近所付き合いをし、
そんな生活を経験させてくれた彼に感謝したい。

今でも許せないこともたくさんあるけど、

少なくとも、振り返ってみたら、結構幸せだったなと思える。
もっとお気楽に捉えることができていたら、、
たらればは尽きないげれど。。。

2 件のコメント:

  1. これからです。
    後ろを見るとそりゃあもう危険な、ものすごい崖をよじのぼって、がんばって、がんばって、なんとか尾根まで上ってきたのですから。
    これからはなだらかな道を、景色を楽しみながら、生きていきましょう。
    お子さんたちは、どんなことがあっても、味方です。

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  2. ありがとうございます。
    「子どもをもったから我慢しているのも当たり前」「がんばるのも当たり前」って思ってきて、そうやってきたことにもあまり後悔はないんです。でも振り返ると「頑張ったな~~自分」と思います。
    と同時に「そんなに頑張らなくてもここまで来る道もあったのだろうね」って思います。

    手の中に幸せがいっぱいあったし、今もあることに気がついたので執着を捨てて、自信を持ってゆっくり歩いてみようと思います。

    優しいコメント本当にありがとうございました。

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