フェイスブックが辛い・・・

フェイスブックはお友達作りのためにやっているのではない。
お客様を優遇するためにやっている。

というと、なんだか商売気丸出しでいやらしく感じるでしょうか?

でも、この下心がないと、日々うつりゆく気分の中で、他人の日常を嫌でも見ることになるフェイスブックは時として、孤独を感じたり、焦りを感じたり、嫉妬を感じたりとネガティブな感情に苦しむことになります。


私などは、初めにフェイスブックを見ていてこんな感情が出てきた自分がとても醜く、小さい人間に感じて、人がどうこうではなく、人のことを素直に受け入れられない自分に嫌気がさし、そういう自分に気が付いてしまったことが辛かったように思います。



それでも、フェイスブックによって質問が来たり、お問い合わせが来たり、ご予約をいただいたり、続けていくうちにお仕事になくてはならないものになっていき、やめるにやめれないという状態になっていきました。


幸いなことに、私の仕事上お客様からフェイスブックで同じように苦しんでいる人からの相談を受けます。受けて一緒に考えたり、アドバイスしたり、傷ついている心を少しでも癒してあげられたらといろいろな情報を仕入れてお伝えしたりしていますと、

あ、なんだ、そういうことか。

と気が付いたことがあります。



感受性の豊かな人は、自分の目の前にあるフェイスブックのフィードに書かれてある言葉がすべて自分に向けて発せられたような錯覚、思い込みの中にいるのだ。
ということです。

感受性豊かな人と言えば聞こえは良いですが、ある意味被害妄想でもあります。

世の中のすべての人が私に向かって何かを言っているはずがないのです。
昨日会った友達でさえ、今この瞬間私のことを考えているなんてことはめったにないのです。

フェイスブックの投稿のほとんどは、他人の他人による他人のためのなんかしらのメッセージであって、自分に向けられているものなんて、よほどのことがない限りあり得ないのです。


「自分事に置き換えない」

これが平常心を保って便利なフェイスブックとうまく付き合う方法でもあります。

平常心を保ち、他人事としてフェイスブックを眺めると、ありがたい情報が良くも悪くもたくさん転がっていて、いろいろなヒントや楽しみをもらえます。


そして、私はもうひとつ、フェイスブックがとても便利だと思うのは、
私のお客様に必要な情報をタイムリーに流せることです。
私のお客様がより日々幸せに暮らせるように願っているということをお伝えできることです。

時には、自虐ネタで、時には息子ネタを通して、時には劇おこぷんぷんネタで。
そうやって書いていると、たとえ自分が意図していないコメントが入ったとしても、そのコメントを書いた人が自分のお客様あるいはお客様予備軍でないと判断できれば、適当なお返事でお茶を濁すのも、邪魔だなと削除するのも罪悪感を感じずにできてしまうのです。

私のお客様が私の投稿やコメント欄を見て不快な気分にならないように。
それだけに集中しています。

通りすがりの人がなんと言おうと動じなくなります。




昨日、3年連続でご依頼いただいているお仕事で、受講者の方から
「先生、儲かっているでしょ?なんだか貫禄がでてますよ」
と言われました。
確かに3年前の自分と今の自分とでは、放つオーラがちがうのは自分でもわかります。
第一、少々のことで動じなくなった。
何かが起きても、次の何かのために事は起きているのだと逃げることをしなくなった。
腹が立つことが起きても、自分の信頼してくれている頼りにしてくれているお客様の存在をしっかりとイメージできるようなり誰が大切なのか常に感じて生きられるようになった。

そうなった自分がこの3年見てきてくれていた人に貫禄が付いたと言わるのはごくごく自然なことに感じるのです。



自分がどこのだれを見ながらフェイスブックにかかわっていけばいいのかわからない。
という方がいらっしゃいましたら、心が満杯で辛くなる前にご相談ください。

あなたとフェイスブックのかかわりの光を探すお手伝いをいたします。
コトバオンチでもできる発信力トレーニング がきっとお役に立つことでしょう。

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