あの人の機嫌が悪いのは、自分が何かしでかしたからではないということ。
息子たちと話をしていると、今まで自分が勝手な思い込みで不安やら疑心暗鬼やらになっていたことが、まったくの勘違いであることに気が付くことがあります。
息子たちが社会に出て、そこでいろいろな人間関係が生まれ、彼らは彼らで日々葛藤したりしているようですが、明らかに私のような感情の起伏はみられず、穏やかであるように見えます。
彼らは、自分と他者との境界線がしっかりとできているように思えます。
私はいまでこそ境界線が見えてきましたが、ほんの前まで他者とすぐに同期してしまい自分事なのか他人事なのかわからなくなり、モヤモヤ、イライラしていましたから。
男の子だからなのか?
とも思いますが。
息子とこんな話をしました。
「俺の友達でツイてないな~ってやつがおるげん」
「へ~~、どんな感じなん?」
「たとえば、ラーメン屋に19時に行ってるのにその日に限ってスープ切れで店じまいしてたり、じゃ、あそこに行こうと行くと定休日だったり、そんなことが結構あるげん。俺ってなんも考えんと行ってもそんな目にあったことないし、目の前の駐車場があいたり、なんかツイていることだらけやん」
「せやな。おかんもそやわ」
「そいつ、んなことしょっちゅうやから、気の毒になるげん」
「そうか」
「ただ・・・そういうことにめげるやつでないげん。ちょっとは落ち込むんやけど、そういうことでイライラすることないげん。じゃ、次行こうといって次の店でおいしそうに食べるげん。」
「そりゃいいな」
「うん、とっても楽な人だな~~~って思う。俺すごく楽ねん」
「ねえ、それってさ、日々淡々と過ごせるコツなんじゃない?なんていうか、ツイているとかいないとかそんな定規をもっていない。どんなことがあっても「あそうか」って受け止めてするっとかわすことができて、それって、生まれ持ってのツキの良さがあるってことじゃないかな。なにもかもが「ある」って世界観っていうか。うまく言えないけど。私たちのようにラッキーアンラッキーって考えなくても生きていけるようになってる。」
「あ~~ん。そういうことね」
「うん」
「で、あなたにはそんな人がそばにいる方がいいよね。だって、あなたは周りでイライラいした人がいるだけでザワザワするんだから」
「そうそう、以前付き合って子だったら、そんな時めっちゃ機嫌悪くなるから、それが一番嫌やった。めっちゃ気を使わないといけなかったら疲れたわ」
私も、周りに機嫌が悪い人がいるということに過敏に反応する。
どうにかしてその人の機嫌をよくしようとエネルギーを注ぐ。で、つかれる。
しまいには、その人と付き合うのが嫌になる。
勝手にエネルギーを使い、勝手に疲れているわけ。
機嫌がわるいのは、自分が何かをしでかしたから、自分に何かがたりないからだと胃がキリキリしだす。
が、コトバオンチなんてものをやりだしてから、それは私の意識とは全く別のものだということに気が付いた。
たまたま、その人は何かがあって機嫌が悪く、それは、たまたま今なだけであって永遠に続くことではない。
そんなことについ最近やっと気が付いた。
万事塞翁が馬。
状態から想像して身勝手に不安がる必要なんてどこにもない。
ただ「今」と向き合って生きていればそれでいい。
そういうことが若くしても見についている息子の友人がうらやましい。
お育ちなのか?性格なのか?
いいな。と思う。
ラーメン屋が開いていようがいまいが、この日本にいてくいっぱぐれるなんてことはない。
手にした食事をおいしいね♪と喜べる人がいい。
大げさに反応せず、粛々と生きる。
残りの人生そうやって生きたい。
と、大げさに思った。(笑)
息子たちが社会に出て、そこでいろいろな人間関係が生まれ、彼らは彼らで日々葛藤したりしているようですが、明らかに私のような感情の起伏はみられず、穏やかであるように見えます。
彼らは、自分と他者との境界線がしっかりとできているように思えます。
私はいまでこそ境界線が見えてきましたが、ほんの前まで他者とすぐに同期してしまい自分事なのか他人事なのかわからなくなり、モヤモヤ、イライラしていましたから。
男の子だからなのか?
とも思いますが。
息子とこんな話をしました。
「俺の友達でツイてないな~ってやつがおるげん」
「へ~~、どんな感じなん?」
「たとえば、ラーメン屋に19時に行ってるのにその日に限ってスープ切れで店じまいしてたり、じゃ、あそこに行こうと行くと定休日だったり、そんなことが結構あるげん。俺ってなんも考えんと行ってもそんな目にあったことないし、目の前の駐車場があいたり、なんかツイていることだらけやん」
「せやな。おかんもそやわ」
「そいつ、んなことしょっちゅうやから、気の毒になるげん」
「そうか」
「ただ・・・そういうことにめげるやつでないげん。ちょっとは落ち込むんやけど、そういうことでイライラすることないげん。じゃ、次行こうといって次の店でおいしそうに食べるげん。」
「そりゃいいな」
「うん、とっても楽な人だな~~~って思う。俺すごく楽ねん」
「ねえ、それってさ、日々淡々と過ごせるコツなんじゃない?なんていうか、ツイているとかいないとかそんな定規をもっていない。どんなことがあっても「あそうか」って受け止めてするっとかわすことができて、それって、生まれ持ってのツキの良さがあるってことじゃないかな。なにもかもが「ある」って世界観っていうか。うまく言えないけど。私たちのようにラッキーアンラッキーって考えなくても生きていけるようになってる。」
「あ~~ん。そういうことね」
「うん」
「で、あなたにはそんな人がそばにいる方がいいよね。だって、あなたは周りでイライラいした人がいるだけでザワザワするんだから」
「そうそう、以前付き合って子だったら、そんな時めっちゃ機嫌悪くなるから、それが一番嫌やった。めっちゃ気を使わないといけなかったら疲れたわ」
私も、周りに機嫌が悪い人がいるということに過敏に反応する。
どうにかしてその人の機嫌をよくしようとエネルギーを注ぐ。で、つかれる。
しまいには、その人と付き合うのが嫌になる。
勝手にエネルギーを使い、勝手に疲れているわけ。
機嫌がわるいのは、自分が何かをしでかしたから、自分に何かがたりないからだと胃がキリキリしだす。
が、コトバオンチなんてものをやりだしてから、それは私の意識とは全く別のものだということに気が付いた。
たまたま、その人は何かがあって機嫌が悪く、それは、たまたま今なだけであって永遠に続くことではない。
そんなことについ最近やっと気が付いた。
万事塞翁が馬。
状態から想像して身勝手に不安がる必要なんてどこにもない。
ただ「今」と向き合って生きていればそれでいい。
そういうことが若くしても見についている息子の友人がうらやましい。
お育ちなのか?性格なのか?
いいな。と思う。
ラーメン屋が開いていようがいまいが、この日本にいてくいっぱぐれるなんてことはない。
手にした食事をおいしいね♪と喜べる人がいい。
大げさに反応せず、粛々と生きる。
残りの人生そうやって生きたい。
と、大げさに思った。(笑)
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