「ありがとう」と「しあわせ」はセット。

2日間奥能登に行ってまいりました。

チビとの二人旅。
の予定にいつもの友人たちがひょんなことで便乗。

普段あまりそんな顔を人に見せない、「母親の私」の顔をさらした旅でもありました。


去年の11月25日にフジテレビで放送された

土曜プレミアム
『10人旅~美味しいと新しいと伝統と!全部たのしんじゃう金沢旅~』


地元のネタなので親近感を覚えながらみていたのですが、最後に行ったところが今回の宿「百楽荘」でした。
食事処から見える湾の景色に魅了され、スタッフの方たちに風情もいいないいな~とみていました。
洞窟風呂もおもしろいな~と。
そうやって見ているところに仕事が終わったチビが戻ってきて、チビもチビで同じ番組を見ていたらしく、ついていたテレビを見て「おれも見ててんけどさっきの温泉いいね」
といったのを私は聞き逃さず、夕飯を食べさせながら、「12月は忙しいけど、1月以降一緒に行けそうな日ないん?」と勢いで言い、「15日と16日」と答えてきたので、
「じゃ、予約が取れたら行かんけ?」

とその場でスマホで検索し、ものの5分もたたないうちに予約完了となったわけです。

「俺、またマザコンって言われるじぃ~」
とチビは言っておりましたが
「大丈夫温泉だけは、「あら~親孝行な子やじぃ」とあなたの蕪があがるだけだよ」
とけむに巻きました。(笑)


その日からこの15日をどれだけ指おり数えたか。
こんなにうれしいものだと自分でも思わなかったです。
これまでも、一緒に能登まで牡蠣を食べに行ったりと、なんかかんかとつきあってくれてはいましたが、温泉一泊はまた別物。

で、そんな中当初海外旅行の予定だった友人が中止になって「温泉にでも行かない?」とお誘いがきて、それだったらご一緒にいかがですか?
となったわけです。

親子水入らずなのにと心配されてましたが、
息子とてべったりと2日間母親の世話をするのも面倒だろうし、快く承諾してくれました。

結局は温泉内では友人たちとは30分も一緒にいる時間はなかったかも?だったのですが、なんだか好きな人たちに囲まれてしあわせ度は200%。
終始ニコニコの私を見て「ほんとうれしそうね」と友人たちは笑っていましたが。

不思議な不思議な時間が流れた2日間でした。


私はしあわせに生きるときに、「家族」が穏やかに暮らしているというのが大前提だと思っています。そしてこれは、お互いの協力努力が必要だと思っています。

心地よく住む努力や工夫をそれぞれが気にかけていることが大切だと思っています。
その根っこがあって初めて、自由に仕事ができ、遊びにもいけるのだと。
お夕飯作りや、お洗濯だって「しあわせに暮らす」という目的があるから、毎日毎日当たり前のような顔をしてやれるのだと思っています。
「尽くす」ことで、私が求めている安住があるのなら、喜んで尽くそうと思うのです。
そして、息子たちはそれによく答えてくれます。

彼らは自分のことを「俺らはマザコンだ」と言っていますが、それはきっと私が笑って幸せそうにしている方が自分たちも楽だから本能として私が喜びそうなことをしているのだと思います。
私が不機嫌だと非常に面倒だからです。

何もかもではもちろんないのですが、要所要所で私をかまってテレカクシに「自称マザコン」といい私がご機嫌さんになるように努力しているのだと。

私がご機嫌さんだと、体調もいいし、おいしい食事は作ってくれるし、文句も言わずに洗濯物やら猫の世話をしているし、私が機嫌がいいと彼らは彼らで気兼ねなく友人たちと遊べるというわけです。


ああ、そういうことだな。
と分かったのはつい最近ですが。

でも、それぞれの目的は違っても結果私はご機嫌さんなのです。
「ああ、しあわせ~」オーラーを放出しているのです。

しあわせに生きるには、「しあわせに生きたい」と思わないといけないですし、どういうことがしあわせなのか?ということをイメージできていないといけないと思います。

「しあわせ」の中身はそれぞれ違います。家族でもちがいます。
自分にとって何がしあわせなのか。
それがはっきりと見えたときに、そこにむかって舵は取られ、結局仕事も生きがいになります。
仕事が現実逃避であってはいけない。
それでは、クライアントを幸せにすることはできない。


今回の旅でもつくづくそれを感じました。
そして、目の前で嬉しそうにしている家族を見ていると、「ありがとう」で満たされ涙がこみ上げてきます。
「ありがとう」と「しあわせ」はセットです。セットというよりもおんなじことなのだと思います。

そして、「ありがとう」には、自分ではない誰かが必ずあるということです。

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