Facebookが叶えてくれた同窓会。

私がそもそもfacebookをやりたいと思ったのは、
「高校を卒業して故郷を離れて音信不通になっている同級生たちともしかしたらめぐりあえるのじゃないか?」
と思ったからです。

両親もすでに故郷にいない状況で、しかも結婚して名字が変わっているので果たして可能性があるのかないのかわからないけれども、でも、もしかしたら?という一縷の望みをかけて登録しました。

その時はすでに起業はしていましたけれども、Facebookページとかはあったのかなかったのか、ブログを書いていた仲間たちがfacebookに移行しているようだからという理由も重なって、「趣味」で始めました。

そこから、7年か8年経っているのですが、Facebookを初めて何年か経った頃「知り合いかも」に小学校の同級生の名前を見つけました。
珍しい名前だったので、きっと同級生だとは思ったのですが、なかなか友達申請を送ることができず、何か月も「知り合いかも」に上がってくるのをみてはドキドキしていた覚えがあります。
で、ある日、酔っ払った勢いか何かで、「もしかして・・・・」とメッセージを送ってみたところ本人だった。ということで、初めて同級生とのつながりができました。

そこからまた数か月か数年たって、共通の友達の中に同級生がちらほらと見えそれならばと小学校同窓生のグループを作って、時々やり取りをしていました。
中には実勢にあって話をした人もでてきたり。

そんなたびに出ていたのが、「今の時代じゃなかったら絶対にもう会えなかったよね」ということでした。
SNSがなかったら、インターネットがなかったら、スマートフォンがなかったら、ありえない再会。

そうやって、細々とつながっていた同窓生と、昨日やっとまとまって会う食事会がありました。1週間前くらいにひょんなことでそうなったのですが、トントンと話は進み日曜日のお昼にアルコール抜きでの食事会。

たった5人だったのですが、40年の時をものともせず、話は弾み、あっという間に時間は過ぎ、「また、会おうね!」と約束をして別れました。
そうそう、「facebookやめないでよね!」も強くお願いしました。

たぶん、道で偶然に出会ってもわからないくらいに時がたってしまったけれど、Facebookがあるおかげで、近況もわかりどんな顔をして生きているかもわかり、まるで40年前の校舎でワイワイ遊んでいるような感覚にすぐに戻れてしまうのです。


マメな同窓生が卒業アルバムやら、文集などを持ってきてくれました。(物持ち良すぎ!!)

2回目があるのなら、もう少し人数が集まるといいね。
その日までに、できれば今よりももっと輝いていたいな。と思ったり。

お互いの情報を交わしている中では、すでに天国に行かれてしまった同窓生がいたり、事故にあって不自由が体になっている人がいたり、
自分も50年一生懸命ひーひー言いながら生きていたけれども、みんなそれぞれの道を生きてきたのだということを、昔同じ時間を共有していたからこそ沸き起こる感情と共に灌漑深く感じることができました。

そろそろ生き様が顔に出てくるお年頃。
穏やかな同窓生たちの顔を見ていると、なんだか誇らしくもありました。


とりあえず、Facebookで故郷の懐かしい人たちと出会うミッションは達成できました。
この次は、この出会った人たちと故郷の懐かしい道を歩いてみたいな。

コメント

このブログの人気の投稿

自己チューな言葉

「あぽじら」の正しい使い方

Windows10シャットダウン時に「S」のアイコンがでて強制終了しますか?とメッセージがでる→ブラザーのプリンターが原因