「ステイタス発信」のペルソナはお客様ではなく、同業者になってしまっている。
SNSにしろ、ブログにしろ
発信というのは、やっぱり難しいのである。
それは、発信には何かしらの「よこしまな心」があるからだ。
私だって、ビジネスは「愛」です。といいながら、その発信をしている隠れたよこしまな心には、その投稿を見て、私のところがいい!とお客様になって欲しいという気持ちが必ずある。
たとえば、お客様によくしてもらったこと、何か大きなパーティに呼ばれたこと、有名人著名人と写真を撮ったこと、など。それは単純にうれしかったりする。問題はそれをSNSなどに発信するという行為。そこに芽生える心に「ステイタスの強調」を含んでやしないか?ということだ。
たぶん、「いいでしょ?」「すごいでしょ?」「こんなステイタスのある私は他とはちがうわよ」とか、そういう気持ちがないですか?ということ。
別にそれが悪いといっているのではない。
ただ、その発信のほとんどが、今現在目の前にいたり、抱えているお客様のための発信であるかどうか?
ということだと思う。
また、その発信によって、最悪お客様が気分を害していたりしないかどうか、少しでも思いを巡らせましたか?ということだと思う。
もしも、この地雷を踏んでしまうとお客様からの信用や関係性が破綻する恐れがある。
その反面、そういう「ステイタス発信」を喜ぶお客様もいることも確かなのだけど。
だからこそ、発信には常に「ペルソナ」が必要なのだ。
せめて明確なターゲットが必要なのだ。
曖昧ではだめ。「明確」であること。
ステイタス発信が新規のお客様を捕まえるためのものじゃないか?というのもあるのだけれども、実は深い深い部分に隠れた心理は「同業者」への自慢だったりすることも自覚してほしい。
特に、ターゲットが明確でなく、誰を幸せにするために自分のビジネスがあるのか腑に落ちていない場合、発信することによって「同業者」がどう評価するかが気になって仕方がなくなるのだ。「この業界ではこの人。」という世間様の意識が確立するとそういうことは起こらないのだけれども。
そういう心理が働いた発信は「同業者」からはねたまれ、そして、怖いことにお客様からは不信感をもたれてしまったりするのだ。
それは、なぜ起こるか。
その発信のベクトルが自分にしか向いていないからだ。自分の不安材料を払拭するために発信しているようなものだから、他人様の誰一人として喜ばせるイメージをしながら書いたものではないからだ。
文章というのは、イメージした通りの結果を生む。
お客様が喜ぶ顔をイメージしてアップしたことは、お客様が喜ぶという結果になる。
上っ面ではなく、心底イメージしないといけない。
「30代の女性が」ではなく、もっともっともっと具体的な誰かの喜ぶ顔を。
私は、制作途中のお客様のところに訪問しているのは極力アップしないようにしている。
時々、このようなお客様の仕事をして私いいんだろうか??と思う時だってある。そんな時はつい自慢したくなる。
けれども、制作途中というのは、まだお客様との信頼関係が不完全な時もある。
思い付きの発信で気分を害されてもらったら困るのだ。本当に困るのだ。
ひとつひとつ大切に築いて信用していただかないと始まらない仕事だから、信用がなくなるのが一番怖い。
今見ぬお客様よりも、目の前にいるお客様との関係性が一番大切なのだ。
そこが築けないと、いいホームページが出来上がらない。
また、ホームページを作りたい!
と思っているお客様の中には、現状奪回!と必死な方もいらっしゃる。そいういう状態なのは私にはわかるけれども、私にもわかるからこそ、私が書く文面や写真によってそれを察知する人も出てくるかもしれない。
だけれども、お客様はたとえ崖っぷちでもそういうことは知られたくないのだ。
まあ、かなりオーバーな表現だけれども(笑)
また、ビジネス以外の人生背景、生活背景は誰にでも知られたくないものなのだ。
それを少しは伺わないといけない商売なので、そういうプライベートなことが見えてしまわない配慮は「守秘義務」という観点からも重要事項で最優先させないといけないと思っている。
自分の欲にかられて発信しちゃいけないよ。
ということ。
誰かを幸せにする発信にしないといけないよ。
ということ。
どうしても書きたいときも、すべてが終わってお客様に結果が出るまで待つこと。
お客様の状態がよくなれば、状況は変わる。
「最中投稿」は慎重に。慎重に。
もちろん、今日のこの発信にもペルソナはいるのだけれども。
とまあ、発信をうまくやっている人のを見ると、本当に上手だ。
着付けの先生の投稿がいつみても素敵で好きなのだけれども、例えばこの先生が生徒さんが襦袢姿であたふたやっているのを赤裸々に投稿したらどう思うだろう?たぶん好きにはなっていないと思う。
美しく着て、誇らしげに立っているそんな投稿だから、いつか着物を着るときにはこの人に頼みたいな。なんて思うのだ。
でも、SNSでは、途中経過の美しくない状態を載せている投稿をよく見る。
でも、世の中の繁盛しているだろう企業、お店の投稿を見てほしい。
そこに共通するのは「世界観」だ。
発信というのは、やっぱり難しいのである。
それは、発信には何かしらの「よこしまな心」があるからだ。
私だって、ビジネスは「愛」です。といいながら、その発信をしている隠れたよこしまな心には、その投稿を見て、私のところがいい!とお客様になって欲しいという気持ちが必ずある。
たとえば、お客様によくしてもらったこと、何か大きなパーティに呼ばれたこと、有名人著名人と写真を撮ったこと、など。それは単純にうれしかったりする。問題はそれをSNSなどに発信するという行為。そこに芽生える心に「ステイタスの強調」を含んでやしないか?ということだ。
たぶん、「いいでしょ?」「すごいでしょ?」「こんなステイタスのある私は他とはちがうわよ」とか、そういう気持ちがないですか?ということ。
別にそれが悪いといっているのではない。
ただ、その発信のほとんどが、今現在目の前にいたり、抱えているお客様のための発信であるかどうか?
ということだと思う。
また、その発信によって、最悪お客様が気分を害していたりしないかどうか、少しでも思いを巡らせましたか?ということだと思う。
もしも、この地雷を踏んでしまうとお客様からの信用や関係性が破綻する恐れがある。
その反面、そういう「ステイタス発信」を喜ぶお客様もいることも確かなのだけど。
だからこそ、発信には常に「ペルソナ」が必要なのだ。
せめて明確なターゲットが必要なのだ。
曖昧ではだめ。「明確」であること。
ステイタス発信が新規のお客様を捕まえるためのものじゃないか?というのもあるのだけれども、実は深い深い部分に隠れた心理は「同業者」への自慢だったりすることも自覚してほしい。
特に、ターゲットが明確でなく、誰を幸せにするために自分のビジネスがあるのか腑に落ちていない場合、発信することによって「同業者」がどう評価するかが気になって仕方がなくなるのだ。「この業界ではこの人。」という世間様の意識が確立するとそういうことは起こらないのだけれども。
そういう心理が働いた発信は「同業者」からはねたまれ、そして、怖いことにお客様からは不信感をもたれてしまったりするのだ。
それは、なぜ起こるか。
その発信のベクトルが自分にしか向いていないからだ。自分の不安材料を払拭するために発信しているようなものだから、他人様の誰一人として喜ばせるイメージをしながら書いたものではないからだ。
文章というのは、イメージした通りの結果を生む。
お客様が喜ぶ顔をイメージしてアップしたことは、お客様が喜ぶという結果になる。
上っ面ではなく、心底イメージしないといけない。
「30代の女性が」ではなく、もっともっともっと具体的な誰かの喜ぶ顔を。
私は、制作途中のお客様のところに訪問しているのは極力アップしないようにしている。
時々、このようなお客様の仕事をして私いいんだろうか??と思う時だってある。そんな時はつい自慢したくなる。
けれども、制作途中というのは、まだお客様との信頼関係が不完全な時もある。
思い付きの発信で気分を害されてもらったら困るのだ。本当に困るのだ。
ひとつひとつ大切に築いて信用していただかないと始まらない仕事だから、信用がなくなるのが一番怖い。
今見ぬお客様よりも、目の前にいるお客様との関係性が一番大切なのだ。
そこが築けないと、いいホームページが出来上がらない。
また、ホームページを作りたい!
と思っているお客様の中には、現状奪回!と必死な方もいらっしゃる。そいういう状態なのは私にはわかるけれども、私にもわかるからこそ、私が書く文面や写真によってそれを察知する人も出てくるかもしれない。
だけれども、お客様はたとえ崖っぷちでもそういうことは知られたくないのだ。
まあ、かなりオーバーな表現だけれども(笑)
また、ビジネス以外の人生背景、生活背景は誰にでも知られたくないものなのだ。
それを少しは伺わないといけない商売なので、そういうプライベートなことが見えてしまわない配慮は「守秘義務」という観点からも重要事項で最優先させないといけないと思っている。
自分の欲にかられて発信しちゃいけないよ。
ということ。
誰かを幸せにする発信にしないといけないよ。
ということ。
どうしても書きたいときも、すべてが終わってお客様に結果が出るまで待つこと。
お客様の状態がよくなれば、状況は変わる。
「最中投稿」は慎重に。慎重に。
もちろん、今日のこの発信にもペルソナはいるのだけれども。
とまあ、発信をうまくやっている人のを見ると、本当に上手だ。
着付けの先生の投稿がいつみても素敵で好きなのだけれども、例えばこの先生が生徒さんが襦袢姿であたふたやっているのを赤裸々に投稿したらどう思うだろう?たぶん好きにはなっていないと思う。
美しく着て、誇らしげに立っているそんな投稿だから、いつか着物を着るときにはこの人に頼みたいな。なんて思うのだ。
でも、SNSでは、途中経過の美しくない状態を載せている投稿をよく見る。
でも、世の中の繁盛しているだろう企業、お店の投稿を見てほしい。
そこに共通するのは「世界観」だ。
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JimdoCafe武蔵
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